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今すぐに脱出する前に、一度私の人生を振り替えってみます
もう本当に脱出寸前で、今すぐに走りたい方も多いと思います。
私は思い立ったらすぐに走ってしまう方なので、このブログも止まりません。このまま継続してやっていこうと思っています。
で、あなたは一体何者なの?というお声が聞こえてきそうなので、お答えしたいと思います
私はフツーのサラリーマン家庭に生まれ、普通に育ち、普通に高校に通い、普通に就職しました。
本は結構読みますが、頭もそんなに良くなかったし、早く働いて収入を得て好き放題したかったクチです。
ここまでは、フツーです。
ただ、結婚は早かったです。22歳には結婚して子供も授かっています。今は2人を育てています。
就職氷河期ということもあり、なんとかがんばって入社した就職先はなんと超ブラックでした。
当時は最長で、1日14時間勤務を朝から晩まで5ヶ月間休みなく働きました。その割に給料は16万円とか、今考えると超ヤバいところで仕事をしていました。
親からは、会社なんてそんなもんだ。と言われて、ああそうなのか、素直にそう思っていました。
一部の上司からかわいがられた時もありましたが、ほとんどの上司からはイジメ、パワハラを受けて育ち、ほとんど耐えしのいできました。
そして、誰よりも早くプレイングマネジャーになりました。同期も先輩よりもズバ抜けて出世しました。もちろん調子にも乗りました。
今となっては、運とタイミングだと思っています。当時は実力だ!と天狗になっていました。
嫉妬、妬みの対称にもなりましたが、あんまり気にしませんでした。
成功体験も失敗体験も、組織の理不尽も、経験危ない人達と渡り合うことも地獄のような日々も、修羅場も一通り経験しました。
よく言われるのは、そんなに生き急いでどうするの?ということ。
でも、元々サラリーマンなんか毛頭するつもりが無かったので、まずは何事もスキルを手に入れるためと、目先の収入と生活のために働いて、働いて、働きまくりました。
入社して5年くらいは、先輩からパシリのように扱われ、タバコを買いに走ったり、先輩の時計を質に入れたり、とにかく命令されたことは100%仕事だと思って動きました。
ジュースとか、タバコを買ってこい!!と言われてお金を渡されて、200m先にある自動販売機に猛ダッシュし、2分後にはお釣りとタバコを先輩に渡すこともしました。
いや、これも結構楽しかったですよ。「もう行ってきたのかよ!?」と驚く顔を見るのがこれまた、楽しいのです。もちろん20歳くらいの当時はですよ。今は絶対しませんからね。
先輩や上司は、あまりに私が仕事をするので、何でも仕事を振ってきました。そして、私に甘んじて彼らは遊んでいました。
私は猛烈に1人で3人分くらいの仕事量
を持って働いていたので、給料もそのうち増えるんだろうな~と思っていました。
で、ここからが面白いのです。全員給料が増えていく不思議を体験しました
私は遊んでいる先輩と、働かない上司を見ていても、別にいいや。と思っていました。
自分は先輩達以上に働いているので、この人達よりも給料が増えるだろうと、今思えば、アホなことを考えていました。
で、フタをあければ、仕事をしない人、仕事をする人、全員が何かしらのベースアップしていきました。
「はあ?おかしくね?」と思った21歳くらいの出来事でした。
当時は、知的作業があまりありませんでしたし、作業労務が中心だったので、当然と言えば当然なのかもしれませんね。
仕事量をいかに効率的に、生産的にこなすかに集中していました。
気づいたら15年以上経ちました
今思えば、もし独身なら3年くらいで辞めていたと思います。
だって、業界が肌に合わないんですもの。でも私は生活を優先し、辞めずに、安定的な給料を得るための耐える道を選びました。
なぜか?
それは家庭があるからです。子供のため、家族のため、毎朝毎晩辛さに耐えながら働いてきました。それは、どうしようもないものと思っていました
なぜだと思います?
何度も言うようですが、会社に行って給料をもらうためです。
私は100%会社に依存しているからです。金と引き替えに、会社に
命を握られているからなんですね。
会社に依存するとどうなる?
どんなに心で反抗しても、結局は上司の言うことを聞くようになります。
子供が大きくなり、教育費がかかるようになり、役職を手にいれ、メンツやプライドが大きくなればなるほど、しがみつくように。
これが、社畜の始まりです。社畜とは依存状態のことです。
これに気づいたのは、15年と1ヶ月が経過した時でした。
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